2013年4月15日月曜日

6,坂井直樹の講義概要


授業で何が得られるか?









2013年春学期
「基盤特殊講義D (デザインとコミュニケーション) 吉祥寺キャンパス 8-404」で得られること
part1
デザインとは何か、商品とは、製品とは何かという基礎知識を学ぶ。
part2
人々の感性(消費傾向)を9つのクラスターに分類するEmotional Program (EP)
という坂井直樹独自のマーケティング手法について、約10年前につくられた同手法によるEPマップを、2013年版につくり直していく過程を経ることによって、理解を含める。


「コース演習C <3> 吉祥寺キャンパス 8-404」で得られること
商品開発のコンセプトワークのスキルを学ぶ。
Emotional Program (EP) を使い、近未来の市場の動向をSTP(セグメンテーション、ターゲティング・ポジショニング)分析の方法を学ぶ。
商品開発の仮説コンセプトのムードボード(最終的なアウトプット)の制作を通して、デザイナーへのディレクションの方法を学ぶ。


「コース特殊講義C (デザインとブランディング) 吉祥寺キャンパス 9-201」で得られること
デザイン言語の引用や収集、編集を通じていかに新しいプロダクトが生まれていくかということを、トップクリエイターと坂井直樹の対談から学ぶ。 

5,人々の感性を9つのクラスターに分類するEmotional Program



人々の感性(消費傾向)を9つのクラスターに分類するEmotional Program (EP)
という独自のマーケティング手法と「ブランドデータバンク」のデータベースを使い、
近未来の市場の動向をSTP(セグメンテーション、ターゲティング・ポジショニング)分析する。
詳細は
http://www.emotional-program.com/
http://www.branddatabank.com/










 




















4,松岡正剛のエモーショナル・プログラムの考察



















われわれは街に出て、いつも自分の個性や生活にあうものを探している。また、おびただしい数のメーカーや職人は、どんなユーザーが自分たちのつくった製品や商品を買ってくれるかを一喜一憂している。しかし、ユーザーとメーカーの「間」には多くの壁や溝やズレがあって、両者の意図がつねに重なるとはかぎらない。そこで店舗設計・ディスプレー・宣伝・広報などがその「間」をなんとか縮めようとして、苦心惨憺をする。それでも流行は激しく変化する。

けれども、あらためてよく考えてみると、欲望と生活は敵対などしていないはずなのである。すでにウェルナー・ゾンバルトが『恋愛と贅沢と資本主義』で克明に論証したように、女性のプチ・ロマネスクな贅沢へのおもいからヨーロッパの資本主義の基礎が生まれていったのであって、先に消費者からお金をまきあげる資本家がいたわけでもなく、先に靴下やガーゼ下着の工場があったわけではなかった。

もともと身体にひそむエモーショナルな動向が、外に向かって形をなしたものが道具や製品や商品なのである。水をすくう手の形からスプーンが生まれ、青空を見たいという気持ちから空色のカーテンがつくられ(初期のカーテンは空色と花園模様だった)、森に入る気分のために木靴が革や布に代わり、その子供用を工夫しているうちにスニーカーが生まれていった。

だから、人間の心や気分の奥にあるものと製品や商品は、本来は深く直結しているものなのだ。ところが、そこに大きな事態の変化がおきたのである。それはユーザーとメーカーの「間」に市場(マーケット)というものが登場し、その市場そのものが都市生活や農村生活の半分とまではいわないものの、大きな位置を占めるようになったからだった。また、市場は別途、金融市場という人間の気分や商品とまったく関係のないメカニズムとも融合してしまった。こうして市場は膨れに膨れあがって、市場を制する者が商品競争を制することになってしまったのである。

市場が甚だしく熟成したために、もうひとつ大きな変化がおこった。それは世の中の商品、とりわけブランドがわれわれの感性や気分を代行しはじめたということだ。ユーザーは自分の好みや気分のほんとうの姿がわからないままに、市場に並ぶブランドによって自分の好みを当てるようになったわけである。

これはブランドが多様で、そこに人間の個性や気分に見合った分の微妙な襞が反映しているときはともかく、必ずしもその対応関係が釣合いをとらないときも多く、こういうときはユーザーとブランドの関係そのものが固定化してしまって、市場すら冷えるという予測もつかない動向を生み出したのである。

そこで、ふたたびユーザーとメーカーの「間」をできるかぎり直截につなげる考え方が必要になってきた。いいかえれば「こころ」と「もの」とを、「気分という感性」と「商品という品性」とをうまく重ね合わせることができる考え方が待望されるようになったのである。坂井直樹の「エモーショナル・プログラム」はそのような期待に応えて、さまざまな実践と計画の準備と滋養を背景に組み立てられた。

私は、この「エモーショナル・プログラム」を見て、これは感性と商品の「間」に象徴作用というものをおいた仕組みだということに感心した。われわれには、言葉であれ色であれ形であれ便利な機能であれ、それらがもっているなんらかの特性を絶えず象徴化しようとする傾向がある。逆に商品はその象徴性をつねに記号化するという傾向をもつ。この象徴作用が崩れると、ユーザーは戸惑い、メーカーは方針を誤る。

すなわち、象徴作用というものはつねにユーザーに対してもメーカーに対しても相互的でなければならないのである。また、さまざまな「言いかえ」や「見立て」や「乗りかえ」が可能になっていなければならない。人間の欲望というものは、つねに自分にふさわしい商品を手元におきたいという衝動をもっているけれど、その商品が自分の気分を固定してしまうことを惧れるものなのだ。

そこで、多くの人間は、絶えず自分の気分を「言いかえ」たくなり、もっと別なものに自分を「見立て」たくなり、できれば「乗りかえ」もしたいと思っている。また、メーカーはそのようなユーザーの変身や変更の度合を予測してみたい。坂井直樹の「エモーショナル・プログラム」は、このような「気分という感性」と「商品という品性」の「間」の象徴作用を、ゾーンやベクトルやツリーによって表示したものである。何かが市場を変えるにちがいない。(松岡正剛)

2013年4月14日日曜日

3,坂井直樹の仕事集1969年~2012年

コンセプトワークという立場上、様々なデザイナーの方と物作りをしてきました。今まで一緒にコラボレーションしてきたデザイナーのリストを記しておきます。













shunji yamanaka,gwenael nicolas,fred hope,john zabrucky,iue hiroshi,takeo shibue,tutomu ushidate,nissan design, yoshiro kobata,shunichi hirabayashi,suzuki design,shingo kita,mick haggerty,kouichirou usuki,makoto yamaguti,takashi omori,kousuke shimada,nao tamura,bradley fraser,ross mcbride,shinichiro ogata,
WATER DESIGNの44年間の歴史を2分46秒で、WATER DESIGNの起源は私がサンフランシスコで始めた、そのTATOO COMPANYまで遡ります。そして、その後WATER という社名の時代を含めますと、その歴史は通算で44年になります。ともあれ、このように時間を遡りますと、ずいぶん色々なことを、やってきたようにも見えますが、私の中では、その時々に強く惹かれたものに、ただ一直線に向かっていったに過ぎません。
坂井直樹の仕事集1969年~2012年静止画像

2,皆さんと同じくらいの年だったとき


京都芸大の恩師木村英輝の目でとらえた坂井直樹

京都芸大の私の恩師、木村英輝が学生当時の私の様子から今に至るまでの経緯を、彼の目をとおして書いてくれました。


















彼は私の人生に大きな影響を与えた人です。誰にでも何人かは、こういう人を人生に持つものですね。これも幸運なことだと思います。しかし、一方で過去の自分は、ある意味別人のようにも感じ ます。不思議な感覚ですね。皆さんはどう感じますか。

MOJO WESTの前身TOO MUCHの火付け役になった美大生が、
あの日産コンセプトカー「Be-1」をデザイン・プロデュースした坂井直樹だ。

ロング・ヘアーで茶髪、フリルの付いたシャツ、薄化粧、指にリングが一杯、そして  ハードな黒いサングラス、こんな出で立ちの美大生が現れた。美大は(京都市立美術  大学、現・芸術大学)公立校、受験の難関を突破してきた画学生ばかり。汚れた作業着が定番だった。35年も昔のことだ。彼はピーター(池畑慎之介)に象徴されるピーコック・ファッション革命の先陣を走っていた。彼こそがその後、Be-1(日産の限定  車)やSF・MOMA(サンフランシスコ近代美術館)に永久保存されたオリンパスのカメラ「O-PRODUCT」(デザイン:山中俊治)等のデザインで一躍名を馳せる坂井直樹である。

彼は大阪、四条畷駅前のサカイ運送の長男。四条畷とは今東光が言う"河内のヘソ"の  様な所。しかも彼は四条畷高校のラグビー部だったと言う。バリバリの河内野郎と言ってもいい。親父の生家は京都の帯屋、古典を重んじる家系、今も叔母は
京都・白梅町で坂井春陽堂という骨董屋を営んでいる。坂井直樹は、ともすれば軽薄だと誤解されやすい身なりでファッション系の仕事をしてきた割りには大 胆で男っぽいのは、育ちは河内、血は京都という生い立ちのせいかもしれない。荒々しい河内の根性と京の雅な感性による彼の発想の根っこが垣間見える。

美大のビジュアル・デザイン専攻の学生だった彼はポップ・アートの旗手アンディ・ウォーフォールや電子メディア論を展開するマーシャル・マクルハーンに 強く魅せられる。勿論、教条主義的な美大のカリキュラムには、そんな教科はない。講師だった木村英輝と友人達のマーケティング関連のデザイン事務所 「RR」にには、その種の面白い情報が転がっていた。彼は美大よりも「RR」に通うようになる。

オルタナテブ、従来の価値観を見直そうとする時代だった。グッド・デザインは工業化社会にとって都合が良いが、人間にとっては好ましいモノなの か?-----グッド・デザインはモダニズムの美しさはあるが非人間的だ。それに比べれば、バッド・デザインには人間の暖かさがある。坂井直樹は産業優先の近代化社会に疑問を抱く。そんな彼は、誰も立ち入らなかったアウトローなデザイン"入れ墨"に興味を持つのだ。コカ・コーラ大好き青年だった彼は、 背中にコカ・コーラの入れ墨を彫りたいと考える。それだけれは終わらなかった。彼は入れ墨をした背中を広告媒体にしようと電通にプレゼンテーションする。媒体料は1億円。突拍子もない企画だったが、電通の窓口は真剣に検討しようとしたという。しかし、入れ墨は牛の焼き印(ブランディング)にイメージ が重なるなど、まだアメリカ社会でもタブー視されていた。結局、広告には向かないと没になる。

「何を、やっても良いが、彫り物だけは止めてくれ」彼の祖母からも、きついお達しがあったと聞く。彼は諦めなかった。キッチュなファッションとして入れ墨Tシャツを思いつく。そのTシャツを携えてサンフランシスコへ行く。そこにチャイニーズの投資家が目を付けた。彼は入れ墨をジャパニーズ・アールヌーボーと感じた様だ。お陰で売れた。TATTO  COMPANYという会社も作った。ちょっとした、ブームにもなった。この入れ墨シャツが坂井直樹のデビュー作の一つとなった。その後ブレイクする彼の デザイン・プロデュースの原点にもなる。

彼は日産の小型車「Be-1」で限定生産という京都の工人達が今も守りつづける本物作りの方式を提示。より多くより早くより安く、と言う誰も疑わなかった産業革命以来のマストプロダクト思想に疑問を投げかける。又、オリンパスのカメラ「O-PRODUCT」ではボディにはプラスチック以外はないとされてきた業界の神話に挑戦する。坂井直樹は、いままでの"専門家達の概念"をことごとく覆すのだ。彼は「その時々に強く惹かれたものにただ一直線に向かったに過ぎない」と言う。生活者の目線で業界のプロ達に問うのである。プロダクションとマーケティングを同次元で捉え、エンド・ユーザーのモチベーション
を阻害する"プロ意識"を取り払った。業界のプロ達から彼のデザインは「素人臭い、モノ真似」と酷評された。しかし、ヨーロッパのモーター・ショーではコンセプター坂井直樹はデザイン界のグル(教祖)だと高く評価される。大企業の経営陣をたらし込んで、いつの間にか彼の世界へ誘い込んでしまうプロデューサーとしての才能に注目したようだ。「テクノターザン」と朝日新聞で書かれたのはそのころだ。

コンセプターとはCONCEPTION(聖母マリアの受胎)を語源とする。それにファッションから都市計画までをプロデュースする浜野安弘が表現した 「コンセプト・ワーク」(概念、考え方)が入り混じって生まれた造語である。プロデューサー、コーディネーター、ディレクター、デザイナー、モノ作りに 携わる職名が色々あるが、その仕事内容はいたって不明瞭である。彼はコンセプターという造語によって、その曖昧な役割のすべてを統合し、専門家達による分業体制を越えたデザイン・プロデュースを全てやってのけたのだ。

1968年、美大生、坂井直樹達が、何かカッコ良いこと、夢中になれることを求めて、キャンバスから街へ飛び出す。「動いているストリートや街角が好きだった。毎晩の様にディスコへ、そこで、ファッション・ショーやハプニングを頻繁に企画する。その延長線上にロックイベントTOO MUCHがあった」と彼は振り返る。やがてTOO MUCHは、MOJO WESTの火付け役になるのだ。MOJO  WESTの誕生には多くの若者が関わって来た。時代の後押しもあった。ロック・ムーブメントMOJO WESTとなって羽ばたくのだが、その前身TOO  MUCHとそのイベントを盛り上げた美大生達を忘れることは出来ない。

1, 坂井直樹プロフィール


坂井直樹とは

Name: 坂井直樹
Age: 65
Birthday: 9月20日
College: 京都市立芸術大学
Major: コンセプトワーク、デザイン、ブランディング、マーケティング

[学生諸君へ一言]
誰もやったことがないからこそ、やる価値がある。今世の中に無いものを作ることにデザインの役割がある。
[好きな言葉]
The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)を作ったスチュアート・ブランドの言葉「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」

プロフィール
坂井直樹(さかい なおき)
・専攻・専門分野
デザイン、コンセプトワーク、マーケティング、ブランディング

・履歴書と業績リスト
(コンセプター/ウォーターデザインスコープ代表)
1947年:大阪市に生まれ京都市で育つ。
1967年:京都市芸術大学デザイン科入学。
1969年:渡米。サンフランシスコでTattoo Companyを設立。
ヒッピー達とTattoo T-shirtを売り、大当たりする。
1971年:京都市芸術大学デザイン科在学中、国産初のロックフェスティバル「TOO MUCH」を木村英輝と共にプロデユース
1973年:帰国後、ウォータースタジオを設立。
1987年:「Be-1」を世に出し大ヒット。
1988年:「O-Product」の限定販売に予約が殺到。
1990年:バルセロナで「Water Studio展」を開催、好評を得る。
1995年:MoMAの企画展にO-Productを招待出品、その後永久保存へ。
1995年〜:情報通信関連のプロダクツとコンテンツ開発を多数手がける。
2000年:米国NIKE本社で行われたCreative Design Conference にゲストとして   招待され、300人のデザイナーにWater Studioのプロダクツと、20年来独自に開発してきたマーケティング手法であるEmotional Program (EP)について講演。
2001年9月:インターネット・マーケティングを行うブランドデータバンク株式会社を設立。
2004年7月:デザイン業務を行う株式会社ウォーターデザインを設立。
2005年11月:au design projectにおいてau_KDDIからコンセプトケータイHEXAGON/MACHINAを発表
2006年11月:au_KDDIからコンセプトケータイCYPRES/VOLS/KAOSを発表
2007年1月:アルフレックスより日本人の美意識を呼びおこす「AUN(あうん)」シリーズを3名のデザイナーと共に発表。
2007年4月:JTマイルドセブン「いごこち研究所」所長に就任。
2007年9月:坂井直樹が監修する新メディアサイト【emo-TV(エモティービー)】をOPEN。気鋭の映像クリエーターたちが競演するWeb CMをはじめ、クリエイティブの秘訣を探るSakai Podcasts2.0など、感性を刺激する参加型コンテンツを続々と創出。
2008年4月〜2013年:慶應義塾大学政策メディア研究科大学院教授


主要著書・作品

[コンセプトワークを行ったプロダクツ]
(工業製品)
自動車 Be-1(日産) / PAO(日産) /  RASHEEN (日産)
モーターバイク SW-1 (スズキ)
カメラ O-Product(OLYMPUS)/ Ecru(OLYMPUS)/CAMEDIA
デジタルカメラ C21 (OLYMPUS)
時計 ASTERISK (SEIKO)
液晶テレビ Liquid Crystal Museum (SHARP)
ムービーカメラ TWIN-CAM8 (SHARP)
デスクトップパソコン simplem (NEC)
携帯電話 HEXAGON/MACHINA/CYPRES/VOLS/KAOS/DRAPEなど多数(au_KDDI)
ガスコンロ ピピッとコンロ(東京ガス)
(家具)
仏壇 Mind Gear Box (OM NETWORK)
マッサージチェア pisu style (OMRON HEALTHCARE)
ソファー AQUA, KITE (alflex)/BOOMELANG (Cassina ixc.)
(食品と化粧品)
ビールとビアレストラン The Earth (SUNTORY)
日本酒  玉兎(沢の鶴)
メンズ化粧品 DENALI (カネボウ)
(その他)
大塚国際美術館のロゴマーク
無縫製シャツ(Gold Win)
ベビーカー、ベビーシューズ(APRIKA)

・主な著書
『テキスタイルの技法』(美術出版社)、『コンセプト時代の気分』『未来からのモノづくり』(かんき出版)、 『大世紀末コンセプトノート』(東急エージェンシー出版部)、『創業人のススメ』(徳間文庫)、『モノのかたち』(グリーンアロー出版社)、『Emotional Program』(ビー・エヌ・エヌ)、『自分探しのブランドブック』(かんき出版)、『ブランドの達人』(ソフトバンク・パブリッシング)『デザインのたくらみ』(トランスワールドジャパン)『今日、息子が死んだ』(英治出版)

・主なテレビ出演
フジテレビ:「ニューデザインパラダイス」「アイディアの鍵貸します」「エコラボ」
日テレ:EX-TV
・連載
モノマガジン:「坂井直樹のBRAND USER PROFILE」
日経デザイン:「坂井直樹のデザイン経営談義」、「デザインマーケティング」
PODCAST:クリエーターとの対談を配信 「SAKAI PODCASTS2.0」
Yahoo公式ブログ「デザインの深読み」、iza!にて専門家ブログ「デザインのたくらみ(ケータイ編)」

・2007年審査員
三菱ケミカルジュニアデザインアワード、日本パッケージデザイン協会

・講演・講師
日本経済新聞主催イベント、スルガ銀行 IR用講演、札幌デザイナーズ学院、富士フイルムデザインセンター、日本流行色協会、財団法人店舗システム協会
経済産業省、国土交通省、信州大学、京都造形大学、北海道デザイン大学、ICSカレッジオブアーツ、日本流行色協会、日産自動車、サムソン、FUJIFILM、モリモト他、企業講演多数。

国土交通省委員
通商産業省委員

東京大学工学部(精密機械工学科)
夏期特別講座講師:1991~2004
信州大学(感性工学科)
夏期特別講座講師:2000~
京都造形大学客員教授

・所属学会名
日本文化デザインフォーラム
感性工学学会